島原の乱とは?
しまばらのらん
島原の乱とは、1637〜38年に肥前国島原と肥後国天草で起きた、キリシタン農民らによる大規模な一揆です。
島原の乱(しまばらのらん)は、1637年(寛永14年)10月から翌1638年2月にかけて、現在の長崎県島原半島と熊本県天草地方で発生した大規模な反乱です。島原・天草一揆とも呼ばれます。
反乱の主な原因は重税と藩主による過酷な支配にありましたが、当時の島原・天草地方はかつてキリシタン大名が治めた地域であり、禁教令後も信仰を続ける潜在的なキリシタンが多く残っていました。過酷な年貢徴収・拷問に追い詰められた農民たちが蜂起し、「益田四郎時貞(天草四郎)」という少年を象徴的な首領として担ぎ上げました。
反乱軍は天草と島原で挙兵し、最終的に廃城であった原城(はらじょう)に3万7千人ほどが立て籠もりました。幕府は九州諸藩の兵力と松平信綱を総大将とする大軍を送り込み、約3か月に及ぶ籠城の末、1638年2月に原城を陥落させました。
この乱の影響は非常に大きく、以下の政策につながりました。
- キリスト教の取り締まりがさらに強化された
- ポルトガル船の来航が禁止され鎖国体制が完成に近づいた
- 寺請制度(すべての民衆をいずれかの寺の檀家とする制度)が整備された
島原の乱は江戸時代最大の内乱とされ、これ以降幕末まで大規模な武力反乱が起きなかった点でも歴史的に重要な出来事です。
使い方・例文
「島原の乱ののち、幕府はポルトガルとの国交を断絶し、鎖国体制を強固にした」といった形で、近世日本史やキリシタン史の解説に登場します。
この用語をシェア
最終更新: