肥後国とは?
ひごのくに
肥後国とは、現在の熊本県にあたる旧令制国で、九州中部の中心地として農業・文化ともに栄えた地域です。
肥後国(ひごのくに)は、日本の令制国の一つで、西海道に属していました。現在の熊本県のほぼ全域に相当します。「肥州(ひしゅう)」とも呼ばれます(肥前国と合わせて)。
肥後国は九州中部に位置し、阿蘇山を含む豊かな農業地帯を有していました。国府は現在の熊本市付近に置かれていたとされています。阿蘇の大カルデラは世界最大級の規模を誇り、豊富な湧水と肥沃な土地が古くから農業の発展を支えました。
古代には肥後国造が支配し、律令制の下では重要な西海道の一国として機能しました。中世には菊池氏・相良氏・阿蘇氏など複数の有力氏族が割拠しました。戦国時代には島津氏が一時支配を広げましたが、豊臣秀吉の九州征伐後は加藤清正が肥後国の大半を領有しました。清正は熊本城を大規模に整備し、灌漑工事(白川・緑川流域の治水)を行って農業生産力を大きく高めました。
江戸時代には肥後細川藩(熊本藩)が成立し、細川忠利以降の細川氏が明治維新まで治めました。細川藩は54万石の大藩であり、朱子学・古学などの学問や武道(肥後古流)が盛んでした。武蔵野剣客として名高い宮本武蔵も晩年を熊本で過ごし、『五輪書』を著しています。
使い方・例文
「肥後もっこす」という言葉は肥後(熊本)の人の気質を表す慣用句として知られており、熊本の地域性を語る文脈で「肥後国」が登場します。
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