播磨国とは?
はりまのくに
播磨国とは、現在の兵庫県南西部にあたる旧令制国で、山陽道随一の大国として交通・産業の拠点でした。
播磨国(はりまのくに)は、日本の令制国の一つで、山陽道に属していました。現在の兵庫県南西部(姫路市・加古川市・明石市などを含む地域)にほぼ相当します。「播州(ばんしゅう)」とも呼ばれます。
播磨国は山陽道最大の国の一つとして知られ、国府は現在の兵庫県姫路市付近に置かれていました。また、8世紀初頭に編纂された『播磨国風土記』が現存しており、令制国の中でも比較的まとまった形で残る貴重な地誌として知られています。この風土記には各地の地名の由来・産物・伝承が記されており、当時の地域社会の様子を伝えます。
播磨は古代から農業・漁業が盛んな豊かな地域であり、瀬戸内海に面した立地から海上交通の要衝でもありました。中世には赤松氏などの守護大名が勢力を持ちました。戦国時代には豊臣秀吉(当時・羽柴秀吉)が播磨を足がかりに中国地方へ進出し、姫路城を拠点として西国攻略を進めたことで知られています。
近世には姫路藩をはじめとする複数の藩と幕府直轄領が並立し、播磨の各地で木綿・醤油・酒造などの地場産業が発達しました。現在も「播州そうめん」「播州織」などの産品がこの地域の伝統を引き継いでいます。
使い方・例文
歴史ドラマや小説で「播磨攻め」「播州の覇者」といった表現が登場するとき、播磨国(現在の兵庫県西南部)を指しています。
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