安政の大獄とは?
あんせいのたいごく
安政の大獄とは、江戸幕府大老・井伊直弼が1858〜59年に行った、幕政批判者を大規模に弾圧した事件です。
安政の大獄(あんせいのたいごく)は、江戸時代末期の安政5〜6年(1858〜1859年)に、大老・井伊直弼が主導した政治的弾圧事件です。幕政を批判した公家・大名・志士・僧侶など広範な人物が処罰の対象となり、日本近代史における最大規模の政治弾圧のひとつとして知られています。
背景には、将軍継嗣問題と日米修好通商条約の締結をめぐる激しい政争がありました。一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)を推す一派と、紀州藩主・徳川慶福(のちの家茂)を推す南紀派が対立する中、井伊直弼は南紀派の立場で大老に就任しました。さらに、天皇の勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印したことへの批判が高まると、井伊はこれを反幕府運動と見なし、厳しい粛清に踏み切りました。
処罰された人物は100名以上にのぼり、その中には水戸藩士・吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎らが含まれます。吉田松陰は処刑され、尾張・水戸・越前など諸藩の藩主や重臣も謹慎・隠居を命じられました。公家でも三条実万(さんじょうさねつむ)などが処罰されています。
しかし、この強権的弾圧は反幕府感情をさらに高める結果を招き、翌安政7年(1860年)の桜田門外の変で井伊直弼は水戸浪士らに暗殺されました。安政の大獄は幕末の倒幕運動を加速させた重要な転換点とされています。
使い方・例文
「安政の大獄で処刑された吉田松陰は、後の明治維新を担う人材を育てた松下村塾の主宰者として知られている」という文脈で言及されます。
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