桜田門外の変とは?
さくらだもんがいのへん
桜田門外の変とは、1860年3月に江戸城桜田門外で水戸藩・薩摩藩の脱藩浪士たちが大老井伊直弼を暗殺した事件です。
桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)とは、1860年(安政7年・万延元年)3月3日、江戸城の桜田門外(現在の東京都千代田区)において、水戸藩・薩摩藩の脱藩浪士約18名が江戸幕府の大老・井伊直弼を暗殺した事件です。
事件の背景には、井伊直弼が推進した強硬な政策への反発がありました。直弼は1858年に日米修好通商条約を天皇の勅許なしに調印し、また将軍継嗣問題で独断的な処置を取りました。さらに反対派の公家・大名・志士たちを弾圧した「安政の大獄」を断行し、多くの人物が処刑・謹慎処分を受けました。橋本左内・吉田松陰らもこの弾圧で命を落としています。
その報復として、安政の大獄で藩主を謹慎させられた水戸藩の浪士たちを中心に暗殺計画が練られました。雪の降る中、参勤交代の行列を襲撃し、井伊直弼はその場で絶命しました。大老という幕府最高実力者が白昼公然と暗殺された衝撃は計り知れなく、幕府の権威は大きく失墜しました。
この事件は幕末の政治的混乱を加速させ、尊王攘夷運動の激化、公武合体論の台頭など、明治維新に至る激動の時代を招く重要な転換点となりました。
使い方・例文
幕末史を学ぶ場面で、「桜田門外の変で大老が暗殺され幕府の権威が揺らいだ」「安政の大獄への報復として起きた」といった形で頻繁に語られる歴史的事件です。
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