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ローマ帝国の分裂とは?

ろーまていこくのぶんれつ

ローマ帝国の分裂とは、395年にテオドシウス1世の死後、帝国が東西に永続的に分割された歴史的事件で、西ローマ帝国と東ローマ(ビザンツ)帝国の成立を意味します。

ローマ帝国の分裂とは、395年にローマ皇帝テオドシウス1世が死去した際、帝国が東西ふたつに分割され、以後再統一されることなく別々の運命をたどることになった歴史的出来事を指します。これによって成立した西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、その後まったく異なる歴史的軌跡を描きました。

帝国の分裂は395年に突然起きたわけではなく、3世紀の「危機の世紀」と呼ばれる混乱期から段階的に進行していました。

  • 284年:ディオクレティアヌス帝が「四帝統治制(テトラルキア)」を導入し、帝国を四分割して統治
  • 330年:コンスタンティヌス1世がコンスタンティノープルを新首都として建設
  • 379〜395年:テオドシウス1世が最後に帝国を再統一するも、死の直前に二子に東西を分割して遺贈

分裂後、西ローマ帝国はゲルマン諸族の侵入と内部腐敗によって急速に弱体化し、476年にオドアケルによってロムルス・アウグストゥルスが退位させられたことで滅亡しました。この476年は「西洋古代の終わり」として歴史上の重要な区切りとされています。一方、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)はギリシャ語・ギリシャ正教を基盤としながらコンスタンティノープルを中心に存続し、1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落まで約1000年の歴史を刻みました。

ローマ帝国の分裂は、中世ヨーロッパの文化的・宗教的分岐(西方カトリックと東方正教)の出発点であり、世界史における最も重要な転換点のひとつとして位置づけられています。

使い方・例文

「ローマ帝国の分裂後、西ヨーロッパはカトリック教会を中心にまとまり、東ヨーロッパ・中東はビザンツ帝国の影響下で独自の文明圏を形成していった」のように、中世史の出発点を説明する際に使われます。

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