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バヤジット1世とは?

ばやじっといっせい

バヤジット1世はオスマン帝国第4代スルタンで、「稲妻」の異名をもち、バルカン半島への拡大とニコポリスの戦いでの大勝利で知られますが、最終的にはティムールに敗れました。

バヤジット1世(1360年頃〜1403年)は、オスマン帝国の第4代スルタンです。トルコ語で「稲妻」を意味する「ユルドゥルム」の異名で呼ばれ、その機動力と電撃的な軍事行動がこの称号の由来とされています。

父ムラト1世の死後(1389年、コソボの戦い)に即位したバヤジットは、まず兄弟を処刑して権力を固めるという手法をとりました。これはオスマン朝の後継者争いを防ぐための慣習の先例ともなりました。

バルカン半島では積極的な拡張政策を推進し、ブルガリア・ワラキアを征服、コンスタンティノープルを長期にわたり封鎖しました。1396年のニコポリスの戦いでは、ハンガリー国王ジギスムントが率いるヨーロッパ連合十字軍を大敗させ、その名声を高めました。

しかしアナトリア(小アジア)の支配拡大が、中央アジアの覇者ティムール(タメルレーン)との衝突を招きます。1402年のアンカラの戦いでバヤジットはティムール軍に大敗し、自身も捕虜となりました。翌1403年に捕囚のまま没し、その後オスマン帝国は一時「空位時代」と呼ばれる後継争いの内乱に入ります。

バヤジット1世の治世はオスマン帝国の急速な拡大と、その限界を同時に示した時代であり、帝国史上最大の敗北と劇的な転落により、歴史上印象深い人物として記憶されています。

使い方・例文

世界史の「オスマン帝国の拡大」や「ティムール帝国」を扱う単元で、アンカラの戦いの敗者として登場することが多い人物です。

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