西太后とは?
せいたいこう
西太后とは、清朝末期に約半世紀にわたって中国を実質的に支配した女性政治家で、その強大な権力と保守的な政策で歴史に名を残しています。
西太后(せいたいこう、1835〜1908)は、清朝(中国最後の王朝)の皇帝・咸豊帝の側妃として入宮し、同治帝・光緒帝の治世において垂簾聴政(すいれんちょうせい)を行い、約50年にわたって清朝の最高権力者として君臨した人物です。満洲族の葉赫那拉氏(イェヘナラ氏)出身で、諱(いみな)は蘭児(らんじ)です。
西太后が権力を掌握した経緯と主要な出来事は次の通りです。
- 1861年、咸豊帝の死後、幼い同治帝の摂政として政務を主導
- 1875年、同治帝の死後、甥の光緒帝を擁立して引き続き垂簾聴政を継続
- 1898年、光緒帝が推進した戊戌変法(近代化改革)を100日余りで停止させ、改革派を弾圧(戊戌の政変)
- 1900年、義和団の乱に際して列強8か国と宣戦布告するも敗北し、北京議定書を締結
西太后は近代化改革に対して概して保守的な立場をとりましたが、晩年には清末新政と呼ばれる制度改革を主導するなど、一定の変化も見せました。1908年、光緒帝の死の翌日に没しました。
その統治は清朝の近代化を遅らせたとの批判がある一方、複雑な内外情勢のなかで王朝の延命に腐心した現実主義者とする評価もあり、歴史的評価は多様です。
使い方・例文
清朝末期の歴史や日清戦争・義和団の乱を学ぶ際に、西太后は当時の中国の意思決定を左右した中心人物として必ず登場します。
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