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光緒帝とは?

こうしょてい

光緒帝とは、清朝第11代皇帝(在位1875〜1908年)で、戊戌の変法を推進しながら西太后の政変で実権を奪われ、近代化の夢を果たせなかった悲運の皇帝です。

光緒帝(こうしょてい、1871〜1908年)は、清朝第11代皇帝です。4歳で即位し、叔母にあたる西太后後見のもとで成長しました。在位期間は1875年から1908年ですが、実権を握っていた時期は限られていました。

光緒帝の治世で最も注目されるのは、1898年の「戊戌の変法」です。康有為・梁啓超ら変法派の進言を受け入れ、教育・軍事・行政など広範な近代的改革を打ち出しました。しかし西太后を中心とする保守派が「戊戌政変」を起こし、わずか103日で改革は頓挫しました。光緒帝は中南海の瀛台に幽閉され、以後は名目上の皇帝として実権のない日々を送りました。

この時期の清は次のような内外の危機に直面していました。

  • 日清戦争(1894〜1895年)の敗北と多額の賠償
  • 列強による中国分割の進行
  • 義和団事件(1900年)と八カ国連合軍の侵攻

光緒帝は1908年に崩御しましたが、その直前に西太后も没したため、両者の死をめぐっては暗殺説も語られてきました。現代の科学的調査ではヒ素中毒の可能性が指摘されています。光緒帝は清朝末期の近代化をめぐる権力闘争と外圧の象徴的存在として、中国近現代史の転換点に位置づけられています。

使い方・例文

中国近代史の授業や清朝の歴史を扱う書籍で、「戊戌の変法」や「西太后との対立」の文脈で光緒帝が頻繁に登場します。

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