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クレメンス・フォン・メッテルニヒとは?

くれめんすふぉんめってるにひ

クレメンス・フォン・メッテルニヒとは、19世紀前半のオーストリアを代表する外交官・政治家で、ウィーン会議を主導し「ヨーロッパの均衡」体制を構築した人物です。

クレメンス・ヴェンツェル・フォン・メッテルニヒ(Klemens von Metternich、1773〜1859年)は、オーストリア帝国の外務大臣宰相として、19世紀前半のヨーロッパ外交を主導した政治家です。

ナポレオン戦争後の1814〜1815年に開催されたウィーン会議では議長役を務め、フランス革命以前の王政・貴族制秩序を回復しようとする「正統主義」の原則を推進しました。この会議で形成されたヨーロッパの勢力均衡体制は「ウィーン体制」と呼ばれ、その後数十年にわたる大国間の戦争回避に機能しました。

国内政策においては、自由主義・ナショナリズム運動を抑圧する保守反動的な政策を推進し、「メッテルニヒ体制」とも称されます。プレスの検閲・秘密警察の活用・カルルスバート決議(1819年)による大学や出版物への統制などが代表的な施策です。

  • 活動期間:外務大臣(1809〜1848年)・宰相(1821〜1848年)
  • 主な業績:ウィーン会議の主導
  • 政治思想:保守主義・正統主義・反自由主義
  • 失脚:1848年の三月革命による

1848年の革命でウィーンを追われ亡命しましたが、近代外交における多国間協調の先駆けとして、今日も外交史・政治史の重要人物として評価されています。

使い方・例文

高校世界史の「ウィーン会議」や「19世紀ヨーロッパの保守体制」を学ぶ場面で必ず登場する政治家です。

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