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公武合体とは?

こうぶがったい

公武合体とは、幕末期に朝廷公家)と幕府・藩(武家)が協力して国政を担おうとした政治運動のことです。

公武合体とは、幕末(19世紀後半)に起きた政治構想で、朝廷天皇公家)と幕府・雄藩(武家)が手を結び、協調して日本の政治を運営しようとした考え方・運動を指します。

江戸時代を通じて政治の実権は徳川幕府が握っていましたが、ペリー来航(1853年)以降の開国問題をめぐって幕府の権威が揺らぎ始めます。朝廷との関係を再構築することで幕府は政権の正統性を補強しようとし、一方で薩摩藩など有力藩も公武合体を外交・政治の安定策として支持しました。具体的には、孝明天皇の妹・和宮と将軍徳川家茂の婚姻(1862年)が公武合体策の象徴として知られています。

公武合体論には大きく二つの流れがありました。

  • 幕府主導型:朝廷の権威を借りつつ幕府が実権を維持する立場
  • 雄藩参加型:薩摩・土佐などの大藩も政権に参加する連合政権構想

しかし尊王攘夷運動の激化や政治情勢の急変により公武合体路線は行き詰まり、最終的には大政奉還(1867年)・王政復古の大号令(1867年)によって幕藩体制そのものが解体されます。公武合体は明治維新へ至る転換期を理解するうえで欠かせないキーワードです。

使い方・例文

「公武合体の象徴として、将軍と天皇家の姫君との婚姻が実現したが、攘夷派の激しい反発を招いた。」

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