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九鬼嘉隆とは?

くきよしたか

九鬼嘉隆とは、戦国時代から安土桃山時代かけて活躍した志摩国の水軍大将で、織田・豊臣政権を海上で支えた武将です。

九鬼嘉隆(くきよしたか、1542〜1600年)は、戦国時代から安土桃山時代かけて伊勢志摩(現在三重県)を拠点とした水軍の将です。志摩国答志島を本拠とし、熊野灘から伊勢湾にかけての海上権を掌握しました。

嘉隆が歴史に大きく名を刻んだのは、織田信長に仕えてからです。1576年から始まった石山本願寺への兵糧補給をめぐる争いで、本願寺を支援する毛利水軍(村上水軍)と激突。第一次木津川口の戦いでは敗北しますが、1578年の第二次木津川口の戦いでは鉄甲船(大型船に鉄板を張った艦)を投入して焙烙火矢(焼夷弾)による攻撃を封じ、毛利水軍を撃破しました。この鉄甲船は「世界最初の装甲艦」とも評されますが、実際の構造については諸説あります。

信長死後は豊臣秀吉に仕え、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)にも水軍の将として参加しました。1600年の関ヶ原の戦いでは当初西軍(石田三成方)に属しましたが、息子の守隆が東軍に付いたため父子で対立。戦後、守隆の助命嘆願により最終的に自害で決着しました。海上支配の巧みさから「海賊大名」とも呼ばれます。

使い方・例文

九鬼嘉隆は戦国時代の海上戦力の重要性を示す人物として歴史の授業や大河ドラマでも取り上げられ、鉄甲船の話題とともに語られることが多い武将です。志摩市には嘉隆ゆかりの史跡が残されています。

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