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サモリ・トゥーレとは?

さもりとぅーれ

サモリ・トゥーレとは、19世紀の西アフリカでワッサル王国を建設し、フランスの植民地化に抵抗し続けたマンデ系の軍事指導者・王です。

サモリ・トゥーレ(Samori Touré、1830年頃〜1900年)は、19世紀の西アフリカを代表する軍事指導者・国家建設者です。現在ギニア共和国周辺に生まれ、軍事的才能と政治力で勢力を拡大しました。

1860〜70年代かけて現在のギニア・シエラレオネ・コートジボワール・マリにまたがる広大なワッサル帝国(後のサモリ帝国)を建設しました。イスラームを統治の柱とし、近代的な軍隊の組織化や鉄製武器の国内生産にも注力しました。

フランスがこの地域への植民地拡張を進めると、サモリは長期にわたってフランス軍と激しく戦いました。一度は条約を結んで北方へ移動するなど戦略的な撤退も行いながら、20年近くにわたりフランスの侵攻に抵抗し続けました。しかし1898年についにフランス軍に捕虜となり、ガボンへ流刑に処され翌年死去しました。

サモリ・トゥーレは、西アフリカの反植民地抵抗運動の象徴として今日も高く評価されています。ギニアの初代大統領アフメッド・セク・トゥーレはその子孫を称しており、アフリカ各国の独立運動においても精神的な模範とされました。

使い方・例文

「サモリ・トゥーレのフランスへの抵抗は、西アフリカ植民地化に対する最も長期にわたる武装抵抗のひとつとして記憶されている」という形で、アフリカ近代史の解説に登場します。

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