カラハン朝とは?
からはんちょう
カラハン朝とは、10世紀から13世紀にかけて中央アジアを支配したテュルク系イスラーム王朝のことです。
カラハン朝(Qarakhanid dynasty、カラ=ハン朝とも表記)は、10世紀前半に成立したテュルク系の王朝で、現在のキルギスタン・カザフスタン南部・ウズベキスタン・タジキスタン北部、さらに中国の新疆(東トルキスタン)にまたがる広大な地域を支配しました。首都はバラサグン(後にカシュガル)に置かれていました。
カラハン朝の最大の歴史的意義は、テュルク系遊牧民族として初めて集団的にイスラームを受容した王朝である点です。10世紀中頃に改宗が行われ、以後のテュルク系諸民族のイスラーム化に大きな影響を与えました。これによりシルクロードの中継都市サマルカンドやブハラなどがイスラーム文化圏に統合され、東西文化交流が一層促進されました。
カラハン朝の統治体制は一元的な国家ではなく、複数のハン(君主)が並立する連合的な構造をもっていました。東カラハン朝と西カラハン朝に分裂することも多く、内部抗争が絶えませんでした。また、この時代にはテュルク語の文学や学術が発展し、ユースフ・バラサグニによる長編教訓詩『クタドグ・ビリク』や、マフムード・カシュガリによる『テュルク語大辞典』など、テュルク語文学の金字塔とされる作品が生まれました。
カラハン朝は最終的に12世紀に西遼(カラキタイ)の支配下に入り、13世紀のモンゴル侵攻によって滅亡しました。テュルク・イスラーム文明の礎を築いた王朝として、中央アジア史上重要な位置を占めています。
使い方・例文
中央アジアの歴史を学ぶ文脈で、テュルク系民族のイスラーム受容やシルクロード交易の変遷を扱う際にカラハン朝が登場し、テュルク語最古の文学作品を生んだ文化的背景として紹介されます。
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