インカ帝国崩壊とは?
いんかていこくほうかい
インカ帝国崩壊とは、16世紀にスペインの征服者ピサロ率いる小部隊によってアンデス山脈の大帝国が滅ぼされた歴史的事件で、植民地支配の始まりを告げる出来事です。
インカ帝国崩壊とは、南米アンデス地域に栄えたインカ帝国(ケチュア語でタワンティン・スウユ)が、16世紀前半にスペインのコンキスタドール(征服者)フランシスコ・ピサロによって征服・解体された一連の過程を指します。
1532年、ピサロは約170名の兵士とともにペルー北部のカハマルカに到達し、インカ皇帝アタワルパと会見しました。ピサロはキリスト教への帰依と服従を迫り、これを拒否したアタワルパを奇襲・捕虜とし、身代金として大量の金銀を受け取りながらも皇帝を処刑しました。首都クスコは1533年に陥落し、事実上帝国は瓦解しました。
帝国崩壊の要因は複合的です。
- 内部分裂:アタワルパとワスカルの皇位継承争い(内戦)による弱体化
- 疫病:スペイン人が持ち込んだ天然痘などが免疫のない住民を激減させた
- 軍事技術格差:鉄製武器・火器・馬の圧倒的優位
- 情報と同盟:スペイン側がインカの支配に不満をもつ諸部族を味方につけた
崩壊後、インカの領域はスペイン植民地「ペルー副王領」に組み込まれ、銀山採掘のための過酷な強制労働体制(ミタ制)が敷かれました。この歴史は現在の南米諸国の文化・民族構成・社会問題の原点となっています。
使い方・例文
現在のペルーの世界遺産マチュ・ピチュはインカ帝国時代の都市遺跡であり、崩壊後も長くスペイン人に発見されなかったため破壊を免れたとされています。
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