アンドレ・マジノとは?
あんどれまじの
アンドレ・マジノとは、フランスの政治家・軍人で、第一次世界大戦後にフランス東部国境に建設された巨大要塞線「マジノ線」の名称の由来となった人物です。
アンドレ・マジノ(1877〜1932年)は、フランスの政治家であり、元軍人です。第一次世界大戦では下士官・将校として従軍し、ヴェルダン攻防戦をはじめとする激戦に参加して重傷を負いました。その体験から、ドイツの再侵攻に備えた強固な防衛線の必要性を痛感しました。
戦後、マジノは政界に転じて陸軍大臣を複数回務め、フランス東部国境(アルザス=ロレーヌ地方)に連続した要塞群を構築する計画を強力に推進しました。この防衛線は1930年代にかけて建設され、彼の名をとって「マジノ線」と呼ばれるようになりました。地下に張り巡らされたトンネル、砲塔、居住区などを備えた当時世界最大規模の要塞システムでした。
しかし1940年の第二次世界大戦でドイツ軍はマジノ線を正面から攻略せず、ベルギーを経由してアルデンヌ山脈を迂回したため、要塞線の軍事的意義は失われました。この出来事は「マジノ線思考」という言葉を生み、過去の戦訓に固執して新たな脅威に対応できない姿勢の象徴として今日も語られています。マジノ自身は1932年に他界しており、要塞線の帰結を見届けることはありませんでした。
使い方・例文
「マジノ線は難攻不落の要塞と称されたが、ドイツ軍の迂回戦術によって機能しなかった」という文脈でアンドレ・マジノの名が引用されます。
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