嘉慶帝とは?
かけいてい
嘉慶帝とは、清朝第7代皇帝で、腐敗した宦官・和珅を粛清したことで知られるものの、治世は内憂外患が重なった転換期の君主です。
嘉慶帝(かけいてい、1760年〜1820年)は、清朝の第7代皇帝で、乾隆帝の第15子として生まれ、本名を顒琰(ぎょうえん)といいます。在位は1796年から1820年まで(実質的な親政は1799年から)。
即位直後の最大の功績は、父乾隆帝の寵臣であった和珅(ほうしん)の摘発です。和珅は長年にわたって蓄財を重ね、その私産は清朝歳入の数年分に相当するほどであったとされます。嘉慶帝は乾隆帝の崩御直後、和珅を逮捕・処刑し、その財産を没収しました。
しかし治世全般を通じては困難が続きました。白蓮教の乱(1796〜1804年)は鎮圧に約9年を要し、財政を著しく圧迫しました。続いて天理教の乱(1813年)では反乱軍が一時、紫禁城内に侵入するという前代未聞の事態も発生しました。また、イギリスとの交渉では通商拡大の要求を退け、鎖国的な朝貢体制を維持しました。
乾隆帝時代の繁栄から急速に衰退へ向かう清朝の転換点に立った君主として、歴史上重要な位置を占めています。
使い方・例文
清朝の衰退や腐敗・反乱を扱う中国史の書籍・授業で、「嘉慶帝」と和珅の関係や白蓮教の乱の話題がよく取り上げられます。
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