ポール・キーティングとは?
ぽーるきーてぃんぐ
オーストラリアの政治家で、労働党出身の第24代首相(1991〜1996年)として経済改革とアジア重視外交を主導した人物です。
ポール・ジョン・キーティング(Paul John Keating、1944年〜)は、オーストラリア第24代首相です。ニューサウスウェールズ州シドニーのサリーヒルズ出身で、大学進学歴を持たない数少ない首相の一人です。高校中退後に労働組合運動に身を投じ、21歳で連邦議会議員に初当選しました。
ボブ・ホーク政権下で財務大臣(1983〜1991年)として長期にわたる経済改革を主導し、浮動相場制の導入、銀行規制緩和、インフレ抑制策などを次々と実施しました。1991年に党首選挙でホークを破り首相に就任しました。
首相在任中(1991〜1996年)の主な業績は以下の通りです。
- 1992年のレッドファーン演説:アボリジニへの植民地化の暴力を政府として認めた歴史的スピーチ
- マボ判決(1992年)を受けた先住民土地権法(Native Title Act)の制定(1993年)
- オーストラリアの共和制移行に向けた議論の主導
- アジア外交の強化とAPEC首脳会議の定例化
経済政策では就任直後の景気後退期(「必要な不況」と自ら表現)を乗り越え、任期後半は成長軌道に乗せましたが、1996年の選挙でジョン・ハワード率いる自由党連合に大敗して退陣しました。弁舌の鋭さと挑発的な議会論戦でも知られ、オーストラリア政治史上最も個性的な首相の一人とされています。
使い方・例文
オーストラリアの先住民政策や経済改革を語る際に「キーティング政権の先住民土地権法」という文脈でよく言及されます。
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