長宗我部元親とは?
ちょうそかべもとちか
長宗我部元親とは、戦国時代に四国をほぼ統一した土佐国の戦国大名で、「土佐の出来人」とも呼ばれた武将です。
長宗我部元親(1539〜1599年)は、戦国時代に土佐国(現在の高知県)を本拠とした長宗我部氏の第21代当主です。幼少期は色白で線が細かったため「姫若子」と揶揄されていましたが、初陣で勇猛ぶりを発揮し、「土佐の出来人」と賞賛されるようになりました。
元親は国人領主をまとめる独自の制度「一領具足」を整備し、農民兵を組織して強力な軍団を編成しました。この制度は農民が農具とともに武具を持ち、戦時には即座に動員できる仕組みで、機動力の高い軍事力を生み出しました。
土佐を統一した後は、阿波・讃岐・伊予へと勢力を拡大し、1585年頃に四国のほぼ全域を掌握しました。しかし同年、豊臣秀吉が大軍を率いて四国征伐を行い、元親は降伏して土佐一国のみを安堵されました。その後は豊臣政権に従い、朝鮮出兵にも参加しましたが、嫡男の信親を朝鮮で失ったことが晩年の元親の心境に深い影を落としたとされます。関ヶ原の戦いの前年、1599年に病没しました。
元親の治世は土佐の文化や行政を発展させ、「元親百箇条」と呼ばれる分国法を制定するなど、法整備にも力を入れました。四国統一という大業を成し遂げた戦国武将として、現在も高知県で広く敬愛されています。
使い方・例文
「長宗我部元親は一領具足という制度で農民兵を組織し、四国統一を成し遂げた戦国大名として語られます。」
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