朝倉義景とは?
あさくらよしかげ
朝倉義景は、戦国時代に越前を支配した朝倉氏の最後の当主で、文化を愛した人物として知られる一方、織田信長との対立で滅亡しました。
朝倉義景(1533〜1573)は、越前国(現在の福井県)を本拠とした戦国大名・朝倉氏の第11代当主です。祖先が室町幕府の守護代から戦国大名へと成長した名門の出身で、義景はその最後の当主にあたります。
義景は武将としての積極性には乏しかったとされますが、文化・芸能への造詣が深く、一乗谷(現・福井市)に豊かな城下町文化を築きました。連歌や能楽を愛好し、京都文化を地方に伝えた文化人大名という側面も持ちます。
政治的には、足利将軍家を擁立しようとする動きとも関わりを持ちましたが、上洛の機を逃し続けました。織田信長が台頭すると、浅井長政と連携して対抗しましたが、元亀元年(1570年)の姉川の戦いで敗れ、その後も信長の攻勢を受け続けました。
天正元年(1573年)、信長の大規模な侵攻を受けて一乗谷は陥落し、義景は一族に裏切られる形で自刃して果てました。朝倉氏は義景の代をもって滅亡しました。一乗谷朝倉氏遺跡は現在、国の特別史跡・特別名勝に指定され、当時の城下町の様子を伝えています。
使い方・例文
一乗谷朝倉氏遺跡を紹介する場面で、朝倉義景が文化を愛した最後の当主として言及されます。
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