薩英戦争とは?
さつえいせんそう
薩英戦争とは、1863年に薩摩藩とイギリス艦隊が鹿児島湾で戦った砲撃戦で、攘夷の現実的な限界を悟った薩摩藩がその後イギリスと急速に接近するきっかけとなった歴史的事件です。
薩英戦争(さつえいせんそう)は、1863年(文久3年)8月に薩摩藩とイギリスの間で鹿児島湾(錦江湾)で行われた武力衝突です。英語では「Bombardment of Kagoshima(鹿児島砲撃)」とも呼ばれます。
発端は1862年(文久2年)の生麦事件です。東海道・生麦村(現在の横浜市鶴見区)で、薩摩藩主・島津久光の行列を馬で横切ったイギリス人商人らを藩士が斬りつけ、1名が死亡・2名が重傷を負いました。イギリス政府はこの事件に対する謝罪と賠償を要求しましたが、薩摩藩はこれを拒否しました。
翌1863年8月、イギリス東洋艦隊の軍艦7隻が鹿児島湾に進入し、薩摩藩の汽船3隻を拿捕・焼却しました。これに対して薩摩側が砲撃を開始し、2日間にわたる砲撃戦となりました。結果は以下の通りです。
- 薩摩藩:砲台が損壊し鹿児島市街も一部焼失。砲手多数が死傷
- イギリス側:艦長を含む十数名が死亡し、複数の艦も被弾損傷
この戦いは軍事的には引き分けに近い結果でしたが、薩摩藩は西洋の軍事力の圧倒的な潜在力を直接体感し、無謀な攘夷思想を転換するきっかけとなりました。戦後、薩摩藩はイギリスとの関係を改善し、英国留学生の派遣や武器購入などを通じて近代化を加速させます。この方針転換は、その後の薩長同盟・明治維新の流れに大きく影響しました。
使い方・例文
薩英戦争を経験した薩摩藩は、「攘夷では西洋列強に勝てない」と判断を改め、数年後にはイギリスの支援を受けながら幕府打倒・明治維新へと向かいます。
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