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水野忠邦とは?

みずのただくに

水野忠邦とは、江戸時代後期の老中で、天保の改革を主導した幕府の政治家です。

水野忠邦(みずの ただくに、1794〜1851年)は、江戸時代後期の幕府老中で、浜松藩主から唐津藩主を経て、老中首座として幕政を主導した人物です。老中在任中の1841年から1843年にかけて「天保の改革」を断行したことで知られています。

天保の改革は、前代の享保の改革・寛政の改革と並んで「江戸三大改革」の一つに数えられます。財政再建と綱紀粛正を目的とした諸政策が実施されました。

  • 倹約令の徹底(贅沢品の禁止・風俗の引き締め)
  • 株仲間の解散(物価引き下げを狙った商業統制)
  • 人返し令(農村からの出稼ぎ・流入者を農村へ帰還させる)
  • 上知令(江戸・大坂周辺の大名・旗本領を幕府直轄地化しようとした試み)

しかし、株仲間解散はかえって流通を混乱させ物価が上昇するなど逆効果となる面もありました。上知令は大名・旗本の激しい反発を招き、最終的に水野は老中を失脚し、改革は短命に終わりました。その後の幕政の停滞を象徴する人物としても語られます。

使い方・例文

「水野忠邦の天保の改革は厳格すぎて反発を招き、わずか2年余りで挫折した」という形で、江戸時代の政治史の授業や書籍で取り上げられます。

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