柳生新陰流とは?
やぎゅうしんかげりゅう
柳生新陰流とは、戦国時代末期から江戸時代にかけて柳生宗厳が整備した剣術流派で、徳川将軍家の指南役として栄えた日本を代表する武道の流儀です。
柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)は、日本の剣術流派のひとつです。上泉信綱(かみいずみのぶつな)が創始した新陰流を、大和国(現在の奈良県)の武将・柳生宗厳(むねよし)が受け継ぎ、柳生家の流儀として発展させたものです。
柳生宗厳の子である柳生宗矩(むねのり)は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠および3代将軍・家光の剣術指南役となり、流派の名声を高めました。柳生宗矩は剣術の理論書「兵法家伝書」を著し、剣の技術と精神修養を結びつけた「活人剣(かつじんけん)」の思想を提唱したことでも有名です。
柳生新陰流の技術的特徴としては以下が挙げられます。
- 「無刀取り」—素手で相手の刀を制する技法
- 「三学(さんがく)」と呼ばれる基本の形
- 型稽古を通じた心法の修練
- 実戦よりも剣の理合いと精神性を重視する思想
現代においても奈良県を中心に柳生新陰流は継承されており、重要無形文化財的価値を持つ武道として国内外から注目されています。剣道や時代劇にも大きな影響を与えた流派です。
使い方・例文
「剣術の歴史を学ぶ授業で、柳生新陰流が将軍家御流儀として江戸時代の武道文化を象徴する例として紹介された」というように、日本武道史の文脈で登場します。
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