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崇徳天皇とは?

すとくてんのう

崇徳天皇平安時代末期の第75代天皇で、保元の乱に敗れて讃岐に配流された悲劇の天皇として知られています。

崇徳天皇(すとくてんのう)は、平安時代末期に在位した第75代天皇です。鳥羽天皇の第一皇子として生まれ、1123年に即位しました。しかし、鳥羽上皇との関係は複雑で、上皇は崇徳天皇を疎んじていたとも伝えられています。

1141年、鳥羽上皇の意向により退位を余儀なくされ、近衛天皇が即位します。その後、近衛天皇が子を持たずに崩御すると、崇徳上皇は皇位復権を望みましたが、後白河天皇が即位し、その願いは叶いませんでした。

1156年、後白河天皇側と崇徳上皇側の対立は武力衝突に発展し、保元の乱が勃発します。この戦いで崇徳上皇方は敗れ、上皇は讃岐国(現在の香川県)へ流罪となりました。配流先で経典を書写して朝廷に献上しようとしましたが拒絶され、深く傷ついたとされます。

崇徳上皇は配流地で生涯を終え、その怨霊が朝廷に祟りをなすと信じられたことから、「日本三大怨霊」の一人に数えられるようになりました。この出来事は、武士が政治の表舞台に登場する契機となった保元・平治の乱の歴史的文脈において重要な意味を持ちます。

使い方・例文

保元の乱や平安末期の政治史を学ぶ文脈で、崇徳天皇(崇徳上皇)の名は必ずといってよいほど登場します。

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