大隅国とは?
おおすみのくに
大隅国とは、現在の鹿児島県東部に相当する、律令制度下の旧国名のことです。
大隅国(おおすみのくに)は、日本の律令制度における地方行政区画のひとつで、現在の鹿児島県東部(大隅半島およびその周辺地域)にあたります。
716年(霊亀2年)に薩摩国から分立して成立しました。国府は現在の鹿児島県霧島市付近に置かれたとされ、国分寺・国分尼寺も設けられました。古代から南九州の要衝として、隼人(はやと)と呼ばれる人々が居住しており、大和朝廷との間に軍事的衝突(隼人の反乱)が記録されています。
中世には大隅国をめぐって在地豪族や守護大名による支配が展開されました。戦国時代には島津氏が大隅国の支配を確立し、九州統一をめざす拠点のひとつとなりました。江戸時代以降は薩摩藩(島津氏)の領国に組み込まれ、1871年の廃藩置県・1876年の鹿児島県設置により大隅国という行政区画は廃止されました。
現代でも地名や文化にその名残が見られ、大隅半島・大隅諸島(種子島・屋久島を含む)など地理的な名称として残っています。「大隅」という名称は今も鹿児島県内で広く使われています。
使い方・例文
歴史の授業や古地図の解説で「大隅国の国司が〜」と登場するほか、鹿児島県の観光案内で地域の由来として紹介される場面でも出てきます。
この用語をシェア
最終更新: