ベルンハルト・フォン・ビューローとは?
べるんはるとふぉんびゅーろー
ベルンハルト・フォン・ビューローは、ドイツ帝国末期に首相を務めた政治家で、皇帝ヴィルヘルム2世の治世下で帝国外交を主導した人物です。
ベルンハルト・フォン・ビューロー(Bernhard von Bülow, 1849〜1929年)は、ドイツ帝国の外交官・政治家で、1900年から1909年までドイツ帝国宰相(首相)を務めました。外交手腕に長け、当初は皇帝ヴィルヘルム2世の信頼を得て権力の中枢に立ちました。
ビューローの政治的特徴と主な業績は次の通りです。
- 「世界政策(Weltpolitik)」の推進:ドイツの海外進出・植民地拡大を積極的に支持
- 第1次・第2次モロッコ危機への対応(1905年・1911年)でフランスとの緊張を高めた
- 国内では「ビューロー・ブロック」と呼ばれる与党連合を形成して議会運営を図った
- 1908年のデイリー・テレグラフ事件(ヴィルヘルム2世の失言)を巡り責任を問われ、皇帝との関係が悪化
ビューローは弁舌巧みな議会演説で知られる一方、外交上はドイツの孤立化を招く結果を招いたと批判されることもあります。1909年に失脚後は回顧録を執筆し、晩年は政治から距離を置いて過ごしました。ドイツ帝国の膨張主義と崩壊前夜を体現する政治家として、第一次世界大戦の背景を理解する上で欠かせない人物です。
使い方・例文
ドイツ近代史や第一次世界大戦の原因を学ぶ文脈で、帝政ドイツの外交政策を語る際に登場することが多い人物です。
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