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プラハの春とは?

ぷらはのはる

プラハの春とは、1968年にチェコスロバキアで起きた民主化・自由化運動のことで、ソ連率いるワルシャワ条約機構軍の軍事介入によって鎮圧されました。

プラハの春(Prague Spring)とは、1968年1月から8月にかけチェコスロバキア展開された政治的自由化・民主化運動です。共産党第一書記のアレクサンデル・ドゥプチェクが推進した「人間の顔をした社会主義」を掲げる改革路線が、その中心にありました。

改革の主な内容は次のとおりです。

  • 報道・言論の自由化と検閲の廃止
  • 複数政党の活動容認と政治的多元主義の模索
  • 経済の分権化と市場原理の導入
  • 旅行・集会・結社の自由拡大

この動きはソ連とその衛星国にとって脅威と映りました。1968年8月20〜21日夜、ソ連・ポーランド・東ドイツ・ハンガリー・ブルガリアのワルシャワ条約機構軍が突然チェコスロバキアに侵攻し、改革を武力で停止させました。ドゥプチェクはモスクワへ連行されて正常化協定に署名を強いられ、その後すべての改革は撤回されました。

この出来事はソ連が同盟国の内政に強制介入できるとした「ブレジネフ・ドクトリン」を事実上確立したものとして国際的に批判されました。プラハの春は後の1989年の「ビロード革命」と対比されながら、冷戦時代の東欧における自由化運動の象徴として記憶されています。

使い方・例文

冷戦史の授業でソ連の「ブレジネフ・ドクトリン」を説明する際、プラハの春への軍事介入がその典型例として必ず取り上げられます。

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