ピョートル3世 (ロシア皇帝)とは?
ぴょーとるさんせい
ピョートル3世とは、18世紀のロシア皇帝で、わずか6か月の治世の後に妻エカテリーナ(後の大帝)によるクーデターで廃位・死亡した人物です。
ピョートル3世(1728〜1762年)は、ロマノフ朝のロシア皇帝で、エリザヴェータ女帝の崩御を受けて1762年1月に即位しました。しかし同年7月にはわずか約6か月で廃位され、その後間もなく死亡するという短命な治世に終わりました。
出自はホルシュタイン=ゴットルプ家で、ドイツ系の出身です。ロシア宮廷に育てられたものの、生涯にわたりドイツ(プロイセン)への強い傾倒を持ち続けました。その傾向が最もあらわれたのが、七年戦争をめぐる外交方針の転換です。ロシアが優勢な状況にあったにもかかわらず、プロイセン王フリードリヒ大王への崇拝からロシアが獲得した領土を返還し、単独講和を結びました(「ブランデンブルクの奇跡」と呼ばれる)。この決断はロシア軍・貴族層の強い反発を招きました。
国内政策としては貴族の義務的な国家奉仕を廃止する勅令を出し、一部で支持されましたが、ロシア正教会への冷淡な態度も批判を呼びました。
1762年7月、妻エカテリーナを支持する近衛隊がクーデターを起こし、ピョートル3世は廃位されました。その後まもなく拘留中に死亡しましたが、謀殺の疑いが強いとされています。エカテリーナはその後、エカテリーナ2世(大帝)としてロシアの全盛期を築きました。
使い方・例文
「ピョートル3世はプロイセン贔屓の外交でロシア貴族の反発を招き、妻エカテリーナにより廃位された」のように、ロシア史の文脈で取り上げられます。
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