パルティア王国とは?
ぱるてぃあおうこく
パルティア王国とは、紀元前3世紀から紀元後3世紀にかけて現在のイランを中心に栄えた古代オリエントの強大な王国です。
パルティア王国(アルサケス朝パルティア)は、紀元前247年ごろにアルサケス1世によって建国された王国で、現在のイラン・イラク・中央アジア一帯を支配しました。アレクサンドロス大王の死後に成立したセレウコス朝シリアの支配を脱し、独自の勢力圏を確立したことで知られます。
パルティアの政治体制は、中央集権的な帝国というよりも、多数の地方王侯や豪族を束ねる連合的な構造をもっていました。イラン系の遊牧騎馬民族の伝統を色濃く残しつつ、ギリシア文化の影響も受けた独特の混合文化を育みました。パルティア騎馬兵は重装騎兵(カタフラクト)を擁し、ローマ帝国との戦いでも猛威を振るいました。
東西交易においても重要な役割を担い、シルクロードの中継地として中国とローマをつなぐ交易を管理することで莫大な富を得ました。主要都市にはクテシフォン(後のアルサケス朝の首都)やヘカトンピュロスなどがありました。紀元後224年にアルダシール1世が率いるサーサーン朝によって滅ぼされ、約470年の歴史に幕を閉じました。
使い方・例文
「ローマとパルティアの対立」という文脈では、クラッスス率いるローマ軍がカルラエの戦い(紀元前53年)でパルティア騎兵に大敗した出来事が典型例として挙げられます。
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