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サラエボ事件とは?

さらえぼじけん

サラエボ事件とは、1914年6月にボスニアのサラエボでオーストリア皇太子フランツ・フェルディナントが暗殺された事件で、第一次世界大戦の直接的な引き金となりました。

サラエボ事件(Assassination in Sarajevo)は、1914年6月28日にオーストリアハンガリー帝国支配下のボスニア・ヘルツェゴビナ首都サラエボで発生した政治的暗殺事件です。オーストリア皇位継承者(皇太子)フランツ・フェルディナント大公と妻ゾフィーが、セルビア民族主義団体「黒手組(ウジェディニェニェ・イリ・スムルト)」と関係するガヴリロ・プリンツィプによって銃撃され死亡しました。

事件の背景には、バルカン半島におけるスラブ民族の統一・独立運動と、オーストリアによるボスニア支配への反発がありました。セルビアを拠点にした汎スラブ主義の急進派は、フランツ・フェルディナントのサラエボ訪問を好機と捉え暗殺計画を実行しました。

事件後の連鎖反応が第一次世界大戦勃発につながりました。

  • オーストリアはセルビアに対し最後通牒を突き付けた
  • セルビアがこれを一部拒否したため、オーストリアが宣戦布告
  • ロシアがセルビア支援のため動員令を発令
  • ドイツがロシア・フランスに宣戦、イギリスもドイツに宣戦布告

サラエボ事件はそれ自体が開戦原因というよりも、列強間の同盟体制・軍拡競争・植民地争奪戦などの複合的な緊張が臨界点に達したところに火をつけた事件として評価されています。「バルカン半島はヨーロッパの火薬庫」と言われた時代を象徴する出来事として、現代史の教科書にも必ず登場します。

使い方・例文

「サラエボ事件から始まった一連の外交危機は、わずか数週間でヨーロッパ全土を巻き込む大戦争に発展した」のように使います。

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