オスマン帝国解体とは?
おすまんていこくかいたい
オスマン帝国解体とは、第一次世界大戦の敗戦を契機に600年以上続いたオスマン帝国が分割・消滅し、現在の中東・バルカン諸国の国境が形成された歴史的過程です。
オスマン帝国解体とは、13世紀末に建国されたオスマン帝国が第一次世界大戦(1914〜1918年)での敗戦を経て急速に崩壊し、複数の国家・委任統治領へと分割されていった一連の歴史的プロセスを指します。帝国はかつて北アフリカ・中東・バルカン半島にわたる広大な領土を支配していましたが、19世紀以降「ヨーロッパの病人」と呼ばれるほど衰退が進んでいました。
第一次世界大戦でドイツ側(同盟国)についたオスマン帝国は敗北し、1920年のセーヴル条約によってその領土は大幅に削減されました。イギリスとフランスは中東の旧オスマン領をサイクス・ピコ協定(1916年)に基づいて秘密裏に分割することで合意しており、この取り決めが後の中東国家の国境線の原型となりました。
帝国解体の過程で起きた主要な変化は以下のとおりです。
- アラビア半島・メソポタミア・シリア・パレスチナなどがイギリス・フランスの委任統治下に置かれる
- ギリシャ・ブルガリアなどバルカン諸国が独立を確定させる
- アルメニア人虐殺問題が国際的な人道問題として残る
- ムスタファ・ケマル(アタテュルク)による独立戦争でトルコ共和国が1923年に成立
オスマン帝国解体は現代中東の民族紛争・宗教対立・国境問題の根本的な背景となっており、イスラエル・パレスチナ問題をはじめとする現在の地域情勢にも深い影を落としています。
使い方・例文
現代中東の国際問題を解説する際、「オスマン帝国解体後に引かれた国境線が民族・宗教の分布と一致せず、紛争の温床となった」という文脈でよく登場します。
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