長門国とは?
ながとのくに
長門国とは、現在の山口県西部に相当する旧国名で、古代から中世にかけて西国の要衝として栄えた令制国です。
長門国(ながとのくに)とは、日本の律令制度のもとで設置された令制国の一つで、現在の山口県西部に相当する地域を指します。山陽道に属し、古くから九州と本州を結ぶ海上交通の要衝として重要な地位を占めていました。
国府(国の行政の中心)は現在の下関市付近に置かれたとされており、豊浦郡がその中心地でした。延喜式における格付けでは「中国」(五段階の上から三番目)に区分されていました。周防国(すおうのくに)と隣接しており、両国はしばしば一体として「長州」(ちょうしゅう)とも呼ばれました。
歴史的には、源平合戦における壇ノ浦の戦い(1185年)の舞台となったことでも有名です。関門海峡という地の利から、中世・近世を通じて海上交通・軍事上の要地であり続けました。江戸時代には毛利氏の支配する長州藩(萩藩)の主要な領域の一部となり、幕末には薩摩藩とならんで倒幕運動の中心地として歴史の表舞台に立ちました。明治維新後、廃藩置県によって山口県の一部となり、長門国という行政単位は廃止されました。
現在でも「長門市」という市名や「長門湯本温泉」などの地名に旧国名の名残が見られます。
使い方・例文
幕末史を学ぶ際、「長州藩」という藩名は長門国と周防国を合わせた「長周」が略された呼び名であり、現在の山口県西部が長門国にあたります。
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