長屋王とは?
ながやおう
長屋王とは、奈良時代初期の皇族政治家であり、律令国家の要職を担ったものの政争により自害に追い込まれた人物です。
長屋王(ながやおう、684年頃〜729年)は、奈良時代初期の皇族・政治家です。天武天皇の孫にあたり、高い家格と学識を兼ね備えた人物として知られました。持統・元明・元正・聖武の各天皇に仕え、左大臣として律令政治を主導しました。
長屋王が活躍した時代は、律令国家体制が整備される重要な時期にあたります。彼は文武に秀で、漢詩文にも親しんだ教養人であり、王宅からは「長屋王家木簡」と呼ばれる大量の木簡が出土しており、当時の貴族生活や物資流通の実態を知る貴重な史料となっています。
しかし729年、「長屋王の変」と呼ばれる政変が起こります。藤原不比等の子ら藤原四兄弟が「長屋王が秘かに左道(呪術)を使って国家を傾けようとしている」と密告し、長屋王は邸宅を兵に囲まれ、自害を強いられました。享年40代とみられます。
この事件は、藤原氏が皇族勢力を排除して政権を掌握する過程の一幕とされており、奈良時代の政治史を語る上で欠かせない事件です。長屋王の変の翌年には聖武天皇の皇后に藤原光明子が立后され、藤原氏の台頭が決定的となりました。
使い方・例文
「平城宮跡の発掘調査では長屋王邸跡が発見され、出土した木簡が奈良時代研究の第一級資料として注目されました。」
この用語をシェア
最終更新: