濱口雄幸とは?
はまぐちおさち
濱口雄幸とは、立憲民政党を率いて昭和初期に金本位制復帰と緊縮財政を断行し、凶弾に倒れた悲運の第27代内閣総理大臣です。
濱口雄幸(はまぐち おさち、1870〜1931年)は、高知県出身の政治家で、大蔵官僚を経て政界に入り、立憲民政党の総裁として昭和初期の政権を担いました。「ライオン宰相」の異名をもち、強い意志と誠実さで知られました。
1929年に首相に就任した濱口内閣は、世界恐慌の波が押し寄せる困難な状況下で以下の政策を実施しました。
- 金解禁(金本位制への復帰)を1930年1月に断行。しかし世界恐慌の最中という最悪のタイミングが重なり、デフレと不況が深刻化した。
- 緊縮財政を推進し、政府支出の削減と行政整理を行った。
- ロンドン海軍軍縮条約(1930年)を締結し、海軍の補助艦保有を制限。軍部・右翼から「統帥権干犯」と猛烈な批判を受けた。
1930年11月、東京駅で右翼の青年に銃撃され重傷を負い、翌1931年8月に死去。暗殺に倒れた点で前任の原敬と並び、政党政治の脆弱さを示す象徴的な例として語られます。
濱口内閣の金解禁政策は経済的に失敗と評価されることが多いものの、議会主義の維持と軍縮外交への努力は、その後の軍部台頭への歯止めとして評価する見方もあります。昭和恐慌と政党政治の崩壊を考えるうえで欠かせない人物です。
使い方・例文
昭和初期の経済史を扱う際、濱口内閣の金解禁と昭和恐慌は「最悪のタイミングの政策転換」の典型例として登場します。
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