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契丹王朝とは?

きったんおうちょう

契丹王朝とは、10〜12世紀中国北方を支配した遊牧騎馬民族・契丹人が建てた帝国で、正式名称を「遼」といいます。

契丹王朝(きったんおうちょう)は、モンゴル高原東部に暮らす契丹族(キタン族)が916年に建国した国家で、正式には遼(りょう)と称します。建国者は耶律阿保機(やりつあぼき)で、中国の五代十国時代の混乱期に勢力を拡大しました。

契丹王朝は遊牧民の機動力と農耕文明の制度を巧みに融合させた統治体制が特徴で、「北面官」(遊牧民向け)と「南面官」(漢人向け)の二元的行政制度を採用しました。最盛期には現在の中国東北部・モンゴル・華北北部に及ぶ広大な領域を支配し、南の宋朝とは澶淵の盟(1004年)で和解し長期的な平和共存を実現しました。

独自の契丹文字を創製して文化的自立を図る一方、仏教を保護して寺院建築や写経事業も盛んに行いました。しかし12世紀に入ると、東北から台頭した女真族(金)の攻勢を受けて急速に衰退し、1125年に滅亡します。その後、耶律大石が中央アジアに逃れて西遼(カラ・キタイ)を建て命脈を保ちました。

契丹の名はシルクロードを通じて西方にも伝わり、ロシア語で中国を意味する「Китай(キタイ)」の語源になったとされ、東西交流史における重要な存在です。

使い方・例文

「澶淵の盟」を学ぶ際や、宋・金・モンゴルなど東アジア中世史の授業で頻繁に登場します。「遼」とも呼ばれるため、年表や資料集では両方の表記を確認することが大切です。

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