国定忠治とは?
くにさだちゅうじ
国定忠治とは、江戸時代後期に活躍した上州(現・群馬県)の侠客で、義賊的なイメージで民衆に親しまれた実在の人物です。
国定忠治(くにさだちゅうじ、文化元年〈1804年〉頃〜嘉永3年〈1850年〉)は、江戸時代後期の上野国(こうずけのくに=現在の群馬県)を中心に活動した博徒(ばくと)・侠客(きょうかく)です。本名は長岡忠次郎といい、上野国佐位郡国定村(現・群馬県伊勢崎市)の出身とされることから「国定忠治」の名で呼ばれました。
忠治は若い頃から賭博の世界に入り、やがて一家を構えて上州各地に勢力を広げました。天保の大飢饉(1833〜1839年)の際に、困窮した農民に食料や金を分け与えたという伝承から「義賊」のイメージが生まれ、民衆の人気を集めました。一方で、博徒として多数の争いに関わり、敵対する者を複数人殺害したことも史実として知られています。
幕府の手を逃れながら各地を放浪した後、最終的には捕縛されて磔(はりつけ)の刑に処されました。死後、その生涯は講談・浪曲・歌舞伎・映画・テレビドラマなど多くの大衆芸能で取り上げられ、「山は赤城山、男は忠治」という台詞とともに広く知られるようになりました。実際の姿と大衆文化が作り上げたイメージの乖離も大きく、日本の侠客文化を語る上で欠かせない象徴的な存在となっています。
使い方・例文
「国定忠治は講談や映画で義賊として描かれることが多く、赤城山を根城にする渡世人のイメージが日本人に深く刻まれている。」
この用語をシェア
最終更新: