半済令とは?
はんぜいれい
半済令とは、南北朝時代に幕府が守護に対し、荘園・公領の年貢の半分を兵糧料として徴収する権限を認めた命令です。
半済令(はんぜいれい)とは、南北朝時代(14世紀)の日本において、室町幕府(足利幕府)が守護に対して荘園・国衙領の年貢の半分を兵粮料所として収取することを認めた法令のことです。「半済」とは文字通り「半分を済(わた)す」の意で、領主への納入分を半減させる措置を指します。
南北朝の動乱期、戦費調達のために各地の守護は荘園の年貢を独自に押さえる行為(半済)を事実上行っていました。幕府は1352年(観応3年)の観応の半済令によってこれを一時的・地域限定の措置として公認し、翌年以降も繰り返し発令しました。当初は1年限りの臨時措置とされましたが、次第に恒常化・拡大し、守護が支配を強める根拠となっていきました。
半済令の歴史的意義は主に3点あります。
- 守護が荘園・公領への介入を合法的に拡大する足がかりとなった
- 荘園領主(公家・寺社)の収入が大幅に減少し、荘園制の解体を加速した
- 守護大名の領国支配強化につながり、戦国時代への移行を促した
半済令は、武家権力が公家・寺社の経済基盤を侵食していく過程を示す象徴的な制度として、日本中世史の重要なトピックとして位置づけられています。
使い方・例文
日本史の授業や入試問題で、守護が荘園の年貢を半分取り上げた根拠として「半済令」が取り上げられることが多く、荘園制崩壊の原因を説明する際に登場する用語です。
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