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マリア2世 (ポルトガル女王)とは?

まりあにせい

マリア2世とは、19世紀ポルトガル女王で、立憲君主制を確立しポルトガルの近代化を推進した「教育者女王」と称される君主です。

マリア2世(Maria II、1819〜1853年)は、ポルトガルのブラガンサ朝に属する女王で、1826年から1828年、および1834年から1853年まで在位しました。その治世はポルトガルの政治的混乱と近代化が交錯する激動の時代にあたります。

父ペドロ4世(ブラジル皇帝ペドロ1世でもある)が1826年に亡くなる際、マリアが王位を継承しましたが、幼少のため叔父ミゲルが摂政就任しました。しかしミゲルは1828年にクーデターで実権を掌握し、マリアは亡命を余儀なくされました。その後1834年にポルトガル内戦(自由主義派と絶対主義派の戦い)で自由主義派が勝利し、マリアは女王として復位しました。

復位後の治世では立憲君主制の定着を図り、教育・文化の振興に力を注いだことから「教育者女王(A Educadora)」の称号を得ました。在位中もポルトガル国内の政派対立は続きましたが、立憲体制の枠組みのなかで近代的なポルトガルの礎を築きました。

1853年、34歳という若さで亡くなりましたが、その治世はポルトガルの立憲主義の歴史において重要な意義を持つとされています。

使い方・例文

「マリア2世の治世はポルトガル立憲主義の確立期にあたり、彼女の名は近代ポルトガルの歴史を語るうえで欠かせない」というように、ヨーロッパ近代史・ポルトガル史の文脈で登場します。

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