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セポイの乱とは?

せぽいのらん

セポイの乱とは、1857〜58年にイギリス東インド会社に雇用されていたインド人傭兵(セポイ)が起こした大規模な反乱で、インド全土に広がりイギリスの植民地支配を大きく揺るがした事件です。

セポイの乱(Sepoy Mutiny)は、1857年5月にデリー北方のメーラトで始まったインド人傭兵(セポイ)の反乱で、インド大反乱・第一次インド独立戦争とも呼ばれます。イギリス東インド会社によるインド支配に対する、最初かつ最大規模の組織的抵抗でした。

直接の引き金は、新型ライフル銃(エンフィールド銃)の薬包に牛と豚の脂が塗られているという噂でした。ヒンドゥー教徒には牛が、イスラム教徒には豚が宗教上の禁忌であり、弾薬を口で噛み切ることへの拒否から始まった抵抗が武力蜂起に発展しました。

反乱の背景と展開は以下のとおりです。

  • 東インド会社の傭兵酷使・低待遇への不満が蓄積していた
  • 領土拡大政策(失権の理論)によるインド藩王の権益剥奪への怒り
  • デリーを占拠し、ムガル皇帝バハードゥル・シャー2世を反乱の象徴として担ぎ上げた
  • ラクナウやカーンプルなど各地で激しい戦闘が続き、双方に多数の犠牲者が出た

反乱は1858年に鎮圧されましたが、この事件はイギリス統治に根本的な変化をもたらしました。東インド会社は解散され、イギリス政府が直接インドを統治する「英領インド帝国」体制(ラージ)が確立されました。セポイの乱はインドの独立運動史においても重要な転換点として位置づけられています。

使い方・例文

「セポイの乱は宗教的慣行への無理解が引き金となったが、その背景にはイギリスの植民地経営に対するインド社会全体の広範な不満があった」のように、植民地主義の問題を論じる際に取り上げられます。

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