ウマル・イブン・ハッターブとは?
うまるいぶんはったーぶ
ウマル・イブン・ハッターブとは、イスラム初期の第2代カリフで、イスラム帝国の急速な拡大と行政制度の確立に大きく貢献した人物です。
ウマル・イブン・ハッターブ(Umar ibn al-Khattab、おおよそ584年〜644年)は、イスラム教の預言者ムハンマドの主要な教友(サハーバ)のひとりであり、ムハンマドの死後に第2代カリフ(632年〜644年)を務めた人物です。アラビア語では「正義の者」を意味する「ファールーク」という称号でも知られています。
カリフ在任中、ウマルは以下のような業績を残しました。
- ビザンツ帝国・ササン朝ペルシアへの遠征を指揮し、シリア・エジプト・イラク・ペルシアなど広大な地域をイスラム支配下に収めた
- 征服地の行政組織・税制・裁判制度を整備し、イスラム国家の基盤を築いた
- イスラム暦(ヒジュラ暦)の公式採用を決定した
- 軍事・行政における質素・公正・平等の精神を体現し、後世に模範的な指導者として称えられた
ウマルの統治はスンニ派イスラムにおいて特に高く評価され、イスラム法学・行政学の発展においても重要な遺産を残しました。644年、ペルシア人の奴隷に暗殺されるまでの12年間にわたる在任中に、イスラム世界の版図は飛躍的に拡大しました。
使い方・例文
イスラム史の授業や文献では、「ウマルの治世にイスラム帝国の基礎が固まった」という文脈で頻繁に登場します。
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