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アミルカル・カブラルとは?

あみるかるかぶらる

ミルカル・カブラルとは、ギニアビサウとカーボベルデのポルトガルからの独立を指導した革命家で、アフリカ解放運動の理論家としても知られる人物です。

ミルカル・カブラル(Amílcar Cabral、1924〜1973年)は、ポルトガルギニア(現ギニアビサウ)とカーボベルデ独立運動を率いた革命家・思想家です。ポルトガル領ギニアに生まれ、リスボンで農業技術を学んだ後、祖国解放運動に身を投じました。

1956年にギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)を創設し、その指導者として武装闘争を組織しました。単なる軍事指導者にとどまらず、農民の組織化や識字教育、医療の普及にも力を入れ、解放区での「国民国家」建設を実践しました。

カブラルは「民族文化の返還」を訴え、植民地主義が破壊した先住民の文化・アイデンティティの回復こそが解放の核心であると論じました。この思想はアフリカ全土の独立運動に大きな影響を与え、フランツ・ファノンらと並ぶ脱植民地主義理論の重要な担い手として評価されています。

1973年1月、独立宣言の直前にコナクリで暗殺されました。しかし同年9月にはギニアビサウが独立を宣言し、翌1975年にはカーボベルデも独立を達成しました。カブラルはアフリカ解放運動史上もっとも卓越した思想家・実践者のひとりとして記憶されています。

使い方・例文

「カブラルの思想は、武装闘争と文化的アイデンティティの回復を結びつけたアフリカ解放運動の理論的支柱となった」という形で、脱植民地主義の論文や文献に頻繁に登場します。

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