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アフマト1世とは?

あふまといっせい

アフマト1世は15世紀キプチャク・ハン国(大ホルド)のハンで、モスクワ大公国への支配継続を試みたものの、「ウグラ川の対峙」でルーシを解放させた人物として歴史に刻まれています。

アフマト1世(生年不詳〜1481年)は、キプチャク・ハン国の後継国家の一つである大ホルドのハン(君主)です。モンゴル帝国の分裂後も存続していたこのハン国は、ルーシ(現在ロシアウクライナにあたる地域)の諸公国に対して宗主権と貢納を求めていました。

アフマト1世の治世で最も重要な出来事は1480年の「ウグラ川の対峙」です。モスクワ大公イワン3世が貢納を拒否すると、アフマトは大軍を率いてモスクワに進攻しましたが、ウグラ川を挟んでモスクワ軍と長期間にらみ合い、最終的に交戦することなく撤退しました。

この「対峙」はタタールのくびき(モンゴル・タタール人によるルーシ支配)の事実上の終焉とみなされており、ロシアの歴史教育でも重要な転換点として扱われています。撤退の理由としては、食糧不足・寒冬の到来・クリミア・ハン国の背後からの脅威などが挙げられます。

アフマト1世は翌1481年に暗殺され、大ホルドも15世紀末から16世紀初頭にかけて解体していきました。彼の敗退はモンゴル支配の終焉を象徴する出来事として記憶されています。

使い方・例文

「アフマト1世が退いたウグラ川の対峙は、ロシアがモンゴルのくびきから自立した歴史的転換点として語られます。」

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