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ブレスト=リトフスク条約とは?第一次世界大戦を終わらせたソビエト・ロシアの単独講和

公開 2026年7月24日

この記事は 「ブレスト=リトフスク条約とは?」 の解説をくわしく掘り下げたものです。

ブレスト=リトフスク条約とは

ブレスト=リトフスク条約は、1918年3月3日に、革命後のソビエト・ロシア(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)とドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国・ブルガリア王国からなる中央同盟国との間で締結された単独講和条約です。現在のベラルーシにあたる都市ブレスト=リトフスク(現・ブレスト)で調印されたことからこの名称が付けられています。

背景

第一次世界大戦(1914〜1918年)が長期化する中、1917年にロシアでは二月革命と十月革命が相次いで起き、レーニン率いるボリシェヴィキが政権を掌握しました。ボリシェヴィキは「無併合・無賠償・民族自決」を原則に掲げ、即時の戦争終結を訴えていました。革命後の臨時政府は戦争継続の立場を取っていましたが、ボリシェヴィキ政権は1917年11月に全交戦国に対して休戦を呼びかけました。連合国側がこれに応じなかったため、ロシアは中央同盟国と単独で交渉を開始します。

交渉の経緯

交渉はブレスト=リトフスクで1917年12月から始まりました。ソビエト側の交渉責任者トロツキーは「戦争なし、講和なし」という独自の方針を掲げて引き延ばし戦術を取りましたが、1918年2月にドイツ軍が再び進軍を開始したため、ソビエト政府はドイツの条件を受け入れざるを得ませんでした。

条約の内容と影響

条約によりロシアは、フィンランド・バルト三国・ポーランド・ウクライナなど広大な領土を放棄し、多額の賠償金の支払いにも合意しました。失った領土は当時のヨーロッパ・ロシアの約3分の1、人口の約3分の1に相当する規模でした。この条約はロシア国内で激しく批判され、ソビエト政府の立場を弱めることにもなりましたが、レーニンは国内の体制を固めるために必要な「呼吸の余裕」として受け入れを主張しました。一方、ドイツにとっては東部戦線の終結を意味し、西部戦線への戦力集中を可能にしました。しかし同年11月にドイツが連合国に敗北すると、ドイツはこの条約を破棄しました。その後のヴェルサイユ条約によってブレスト=リトフスク条約は正式に無効とされ、ロシアが失った多くの地域の帰属は改めて交渉されることになりました。

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