ランシング=石井協定とは?アメリカと日本が結んだ中国をめぐる外交協定
公開 2026年7月24日
ランシング=石井協定とは
ランシング=石井協定とは、1917年11月2日にアメリカと日本が締結した外交協定です。アメリカ国務長官ロバート・ランシングと、日本の特命全権大使・石井菊次郎との間で往復書簡の形式で結ばれ、中国に関する両国の立場を調整することを目的としました。協定の名称はこの2人の名前に由来しています。
締結の背景
20世紀初頭、中国はヨーロッパ列強や日本からの圧力にさらされていました。第一次世界大戦(1914〜1918年)が始まると、ヨーロッパ諸国はアジアへの関与を縮小せざるを得なくなりました。この機会を利用して日本は1915年、中国に対して「二十一カ条の要求」を突きつけ、満洲や山東省などでの権益拡大を強引に進めました。
アメリカはこうした日本の動向を警戒しつつも、第一次世界大戦の連合国として日本と協力する必要がありました。さらにロシア革命後のシベリア情勢の不安定化もあり、日本を極端に刺激することを避けたアメリカは、外交的妥協を選択しました。こうした状況のなかでランシング=石井協定が生まれました。
協定の内容
協定の核心は2つの原則の組み合わせにあります。
- 門戸開放・機会均等の確認:両国は中国の領土保全を尊重し、すべての国が中国と平等に貿易・通商できる「門戸開放」と「機会均等」の原則を守ることを約束しました。
- 日本の「特殊権益」の承認:アメリカは、中国と地理的に近接する日本が中国において「特殊権益(special interests)」を持つことを承認しました。
ただしこの「特殊権益」の意味については、日米間で解釈が大きく食い違っていました。日本側は政治的な優越権を含むものと理解し、アメリカ側は地理的な近接性に基づく商業的利益にとどまるものと解釈しました。この意図的とも言える曖昧な表現が、後の日米間の摩擦の種となりました。
廃棄とその後
ランシング=石井協定は、1921〜1922年に開かれたワシントン会議において見直しの対象となりました。同会議で締結された九カ国条約は、中国の主権尊重と門戸開放・機会均等をより明確な形で規定したため、曖昧な「特殊権益」の概念を含むランシング=石井協定は不要となり、1923年に正式に廃棄されました。この協定が有効であったわずか5年余りの期間、日本はこれを中国における権益の国際的な承認として活用しました。