高野長英とは?
たかのちょうえい
高野長英とは、江戸時代後期の蘭学者・医師で、幕府の鎖国政策を批判して獄中・逃亡生活を送った人物です。
高野長英(たかのちょうえい)は、1804年に生まれ、1850年に没した江戸時代後期の蘭学者・医師です。陸奥国水沢(現在の岩手県奥州市)の生まれで、江戸や長崎でシーボルトらに師事して蘭学・医学を修め、江戸で医師として活動しました。
長英はシーボルト事件(1828年)では連座を免れましたが、1839年の蛮社の獄で重大な事件に巻き込まれました。この事件は、幕府の異国船打払令を批判した『夢物語』を著したことが原因で、渡辺崋山とともに捕縛・投獄されたものです。長英は『戊戌夢物語』のなかで、アメリカの商船モリソン号を追い払った幕府の対応を批判し、西洋諸国の実情を踏まえた柔軟な外交の必要性を訴えました。
獄中で自ら火災を起こして脱獄に成功したものの、その後は幕府の追手を逃れて各地を転々とする逃亡生活を余儀なくされました。変装しながら医業を続けて潜伏しましたが、最終的には幕府の役人に発見され、江戸で自害しました。
その生涯は開明的な知識人が閉鎖的な幕府体制に挑んだ悲劇として後世に語り継がれ、日本の近代化・洋学受容の歴史を考える上で欠かせない人物です。
使い方・例文
蛮社の獄や江戸時代の蘭学者を紹介する歴史の授業・文献で、幕府の鎖国政策に異を唱えた知識人として高野長英の名が登場します。
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