道具的理性批判とは?
どうぐてきりせいひはん
道具的理性批判とは、近代の合理性が目的への手段の効率化に矮小化されてしまったことを問題視するフランクフルト学派の思想的立場です。
道具的理性批判(どうぐてきりせいひはん)は、20世紀のフランクフルト学派を代表するマックス・ホルクハイマーとテオドール・アドルノが共著『啓蒙の弁証法』などで展開した批判理論の中核概念です。近代西洋の「理性」が、本来の目的(善い生き方・解放)を問う力を失い、いかに効率よく目的を達成するかという「手段の合理化」に特化した道具的な機能へと退化したと批判します。
道具的理性(instrumentelle Vernunft)の特徴は次の通りです。
- 目的の正当性を問わず、手段の効率だけを計算する
- 自然・他者・人間自身を支配・管理の対象として扱う
- 技術・経済・官僚制の発展と結びつき、社会の隅々まで浸透する
ホルクハイマーは著作『理性の腐食』(邦訳『道具的理性批判』)において、客観的理性(何が本質的に良いかを問う理性)が主観的・道具的理性に取って代わられた過程を批判的に分析しました。その結果、啓蒙の理想であった人間の解放が、逆に支配と管理を強化する「啓蒙の逆説」に陥ったとされます。
この批判は現代社会にも適用可能です。経済成長の数値だけが評価され人々の幸福の質が問われなかったり、テクノロジーが利便性の最大化のみを目指して倫理的問題を後回しにするような状況に、道具的理性の問題が見出されます。ユルゲン・ハーバーマスはコミュニケーション的理性の概念でこの批判を引き継ぎ発展させました。
使い方・例文
「最小のコストで最大の生産性を上げる」という論理のみを優先し、働く人の意味や尊厳を問わない職場環境は、道具的理性批判が問題視する典型例として挙げられます。
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