本文へスキップ

道光帝とは?

どうこうてい

道光帝とは、清朝第8代皇帝で、アヘン戦争の敗北と南京条約締結によって中国の近代的苦難の出発点となった君主です。

道光帝(どうこうてい、1782〜1850年)は、清朝第8代皇帝で、在位期間は1820年から1850年です。本名は旻寧(みんねい)といい、嘉慶帝の第2皇子として生まれました。

道光帝の治世は、清朝の衰退と西洋列強の圧力が本格化した転換期にあたります。国内ではアヘンの蔓延が深刻な社会問題となっており、道光帝はこれを憂慮し、林則徐(りんそくじょ)を欽差大臣として広州に派遣してアヘン取り締まりを命じました。林則徐はイギリス商人から没収したアヘンを大量廃棄しましたが、これがイギリスとの衝突を招きました。

1840〜42年のアヘン戦争で清はイギリス海軍に大敗し、1842年に南京条約を締結しました。この条約により、香港島のイギリスへの割譲、上海など5港の開港、多額の賠償金支払いが定められました。南京条約は中国近代史における最初の「不平等条約」とされ、以後の西洋列強による権益拡大の先例となりました。

道光帝自身は質素倹約を重んじた君主として知られ、個人的な節制は評価されますが、西洋の軍事力・技術力に対する根本的な理解が乏しく、変革を推進できなかった点で歴史的批判も受けています。彼の治世は、中国が「屈辱の世紀」と呼ぶ時代の幕開けを象徴しています。

使い方・例文

中国近代史やアヘン戦争を扱う文脈で必ず登場し、「不平等条約の時代」の始まりを語る際の象徴的な皇帝として言及されます。

この用語をシェア

𝕏 でポスト LINE

最終更新:

関連用語