清浦奎吾とは?
きようらけいご
清浦奎吾は明治・大正期の日本の官僚・政治家で、第23代内閣総理大臣を務め、貴族院を基盤とした超然内閣を組閣したことで知られます。
清浦奎吾(1850〜1942年)は、熊本県出身の官僚・政治家です。司法・内務官僚として頭角を現し、枢密院議長や内務大臣などを歴任した後、1924年(大正13年)に第23代内閣総理大臣に就任しました。
清浦内閣の最大の特徴は、その成立基盤にあります。政党勢力を排除し、貴族院・官僚・枢密院系の人物で閣僚を固めた「超然内閣」として組閣されました。これは当時の政党政治の潮流に逆行するものとして、護憲三派(憲政会・立憲政友会・革新俱楽部)の激しい反発を招きました。
清浦内閣を巡る政治的展開は次のとおりです。
- 護憲三派が「憲政擁護・閥族打破」を掲げて第二次護憲運動を展開
- 1924年5月の第15回衆議院議員総選挙で護憲三派が圧勝
- 選挙敗北を受けて清浦内閣は総辞職(在任わずか約5カ月)
- 後継として加藤高明内閣が成立し、本格的な政党内閣の時代へ移行
清浦内閣の挫折は日本における議会政治・政党政治の定着を促す転換点となり、「大正デモクラシー」の流れの中で重要な位置を占めています。清浦奎吾自身は長命で、92歳で没しました。
使い方・例文
「大正デモクラシーの歴史を学ぶとき、清浦奎吾の超然内閣と第二次護憲運動の対立が民主化の転換点として説明されます。」
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