明治十四年の政変とは?
めいじじゅうしねんのせいへん
明治十四年の政変とは、1881年に明治政府内で起きた政治的事件で、大隈重信が罷免され、伊藤博文らが政権の主導権を確立した出来事です。
明治十四年の政変は、1881年(明治14年)に明治政府内部で起きた政治危機です。参議・大隈重信が突如として政府から追放(罷免)されるとともに、国会開設の勅諭が発布された一連の出来事を指します。
背景には自由民権運動の高揚があります。国民の間で議会設立を求める声が高まる中、政府内部でも国会開設の時期や憲法の方向性について意見が割れていました。大隈重信はイギリス流の議院内閣制をモデルとした憲法を早期に制定し、短期間での国会開設を主張していました。これに対し、伊藤博文ら多数派はプロイセン(ドイツ)流の欽定憲法主義を取り、段階的な制度整備を求めていました。
この対立に加え、開拓使官有物払い下げ問題が世論の激しい批判を受けたことで政府は混乱しました。払い下げ問題を大隈が外部に漏らしたとする疑惑も重なり、政府首脳は大隈を政府から排除することを決定しました。
政変の結果として以下の重要な転換が生じました。
- 大隈重信が罷免され、後に立憲改進党を結成
- 10年後の国会開設を約束する勅諭が発布された
- 伊藤博文らによるドイツ流の憲法調査が本格化し、大日本帝国憲法制定への道筋が定まった
- 自由党・立憲改進党など政党の形成が促進された
使い方・例文
日本の近代政治史を学ぶ文脈で登場し、大日本帝国憲法の方向性や政党政治の原点を理解するうえで重要な事件として位置付けられています。
この用語をシェア
最終更新: