小沢治三郎とは?
おざわじさぶろう
小沢治三郎とは、太平洋戦争中に機動部隊を率いた日本海軍の提督で、レイテ沖海戦における囮作戦で知られます。
小沢治三郎(1886〜1966年)は、日本海軍の軍人で、最終階級は中将(戦後大将に進級)です。海軍兵学校・海軍大学校を優秀な成績で卒業し、航空部隊の指揮官として頭角を現しました。
太平洋戦争中は第三艦隊司令長官として空母機動部隊を指揮しました。1944年10月のレイテ沖海戦では、艦載機をほぼ喪失した空母部隊をあえて囮として北方に展開し、ハルゼー提督率いる米機動部隊を引きつける「囮作戦」を担いました。この囮戦術により栗田艦隊の進撃路は一時開けましたが、最終的な作戦目標は達成されませんでした。
小沢の評価には複数の側面があります。
- 自らの部隊を犠牲にする囮任務を淡々と遂行した冷静な指揮能力
- 戦艦・空母を含む多数の艦艇を失いながらも生還し、戦後まで生きた
- 戦後の歴史研究者から、当時の状況下での合理的判断を行った提督として再評価されている
戦後は旧軍関係者の親睦団体・水交会の初代会長も務め、長寿を全うしました。日本海軍史を語る上で欠かせない人物の一人です。
使い方・例文
レイテ沖海戦や太平洋戦争の艦隊決戦を扱う戦史書、ゲームや映像作品などに登場し、囮作戦の立役者として紹介されます。
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